2011年12月30日金曜日

大河ドラマ 平清盛に敗れた源義朝 最期の地

愛知県美浜町野間に野間の大坊(大御堂)があり、この土地は源義朝が平清盛に敗れ京から逃げる途中、味方の長田親子の裏切りによりこの地で果てた歴史上の場所です。
地元では大河ドラマに便乗し、グルメ・観光等いろいろ策を練っている模様です。
露天商の人達が、初詣の準備中でした。
国の重要文化財の指定を受けている鐘楼です
明日の大晦日は午後11時45分頃から鐘つきが行われます。
織田信長の三男信孝の墓も同じ敷地内にあります
武器を持たず風呂場で殺傷されたので、参拝に木刀を奉納しています。
長田親子の屋敷跡
源義朝が長田親子に襲われた湯殿跡
好奇心旺盛な小生も気になり、自宅から近いので本日訪れて見ました。

愛知 南知多町師崎の朝市(漁港)

説明を追加

網元 丸俊網 シラス漁のプロです(ちりめんジャコ)
焼いているのは、この時期しか味わえない こはだ(寿司ネタ)の干物
試食させていただきました。美味しいです!!

かね成海産 
シラスの加工が本業(ちりめんジャコ)の店です最高に美味しい
ちりめんジャコが購入できますよ。
年末(30日)の漁港で開かれている朝市を見学、名古屋では人気のある場所です。

東海道を 笠置温泉(京都)に向かう!!途中亀山、関宿に立寄る。

雑誌で笠置温泉を知り、手帳に書きとめておいたのを思い出し、早速知人を誘い出かけました。
東海道 関宿
東海道 亀山宿
亀山城址
櫓修理中で石垣しか見学できませんでした。
今回も有料道路は利用せず、国道一号線(東海道)の日帰り温泉ドライブです。

2011年11月8日火曜日

美浜・野間灯台!恋の南京錠!!

!!恋の南京錠 !!                                                       二人で南京錠をかけると恋が実ると評判が広まり、カップルの聖地となった! 愛知県・美浜町小野浦野間灯台!!
海に夕日が沈む姿が美しく、ロマンチックな気分が味わえるため、カップルが集まるようになった。
89年に海保が灯台をフェンスで囲うと、カップルが「いつまでも一緒」などと、、愛を誓う言葉を
ペンで書き込んだ南京錠をぶら下げるようになった。年間数千個かけられ、重みで柵が倒れた事もあり、美浜町が新しいモニュメント「絆」を誕生させた! (中日新聞より)
南京錠は、近くにある美浜町の観光施設「食と健康の館」で販売しています。
セントレア(中部国際空港)に近く、国際線の飛行機と夕日そして灯台ロケーションは素晴らしい
所です。
●灯台から徒歩で行くことが出来る観光と史跡!
●食と健康の館・・・塩作り体験、B級グルメ音吉定食(限定)要予約があります。
●和訳聖書頌徳記念碑
●野間大坊・・・源頼朝・義経(牛若丸)の父親源義朝の墓及び鎌倉幕府将軍時代 源頼朝が寄進
 した国の重要文化財などがある。
●また織田信長 三男 信孝の墓と最期の場所となった安養院があり、遺品も保管されている。

2011年7月20日水曜日

本丸未完成の城 吉田城(愛知豊橋市)



クリックすると大画面になります
1590年豊臣秀吉により家康が関東に移封されると池田輝政が東三河
4郡を統いる15万2千石の城主となった。 
輝政は吉田城および城下町の大改築や吉田大橋の架け替えを行った。
整備は11年間にわたって行われたが  関が原の戦いの翌年1601年輝政は
姫路に移封され現存する城跡は近世の城跡であるが 輝政の統治下では
完成しなかった。
石垣は名古屋城築城の際に余った石垣を転用している部分があり
土佐藩の印も  数々の城主が見受けられる。
江戸時代、征夷大将軍の徳川将軍家の下で、吉田城に三河吉田藩の藩庁が置かれた。
東海道の要地(吉田の宿)の1つに挙げられたため、3万~8万石の藩代大名のみに託されるが、
国替えは頻繁であつたため ほとんどの藩主は菩提寺を吉田に造らず、唯一小笠原家
4代の廊の有る臨済時(通称 殿様寺)のみである。(豊橋市東田町内)
11万石の城主の築城計画は規模が大きすぎて、後の大名では本丸まで完成できなかった
ようです。(豊橋市教育委員会資料)参考資料 ウィキペディア


2011年5月28日土曜日

江姫ゆかりの地(浅井三姉妹) 三重県津城!上野城を訪ねて!!

三重県の県庁所在地にある城跡ですが、1569年頃は伊勢国安濃津(あのつ)と呼ばれていた。
当時は尾張国の織田信長の勢力範囲内であったと言われている、尚津市内には上野城(伊賀
上野城とは違う)があり、織田信長の弟・信包が安濃城(津城)完成までの間仮の拠点として、
利用していたそうです。浅井三姉妹はその頃滞在していたようですね。
上野城を訪ねてみると当時の面影はなく、公園化されており、写真は撮りませんでした。


入徳門(藩校有造館講堂正門) 市指定文化財

堀・石垣は県指定史跡

藤堂高虎公
津城は藤堂氏32万3千石の本城で典型的な平城。
滋賀県甲良町の生まれで、父親は浅井長政の家臣であったとのこと
尚藤堂家は江戸時代を通じてこの地を動くことなく12代世襲して明治に
至ったそうです。

西の丸跡
現在は日本庭園になっています。

2011年4月22日金曜日

地元の選挙運動!!

今週日曜日は、地元の町長及び町議選ですが、町長は立候補1人で無投票 町議立候補者は定員プラス2名で落選者が出ることから、毎度のことですが立候補者は短い日数の中、精一杯の自己アピール!!本当にご苦労様と思いますが・・・・・
自己の名前のアピールがほとんどで、住民に対し町議として何を議会でするのかあまり聞こえてきません!! どこかの党のマニフェストのせいでしょうか?
住民としては、少ない税収の中でしっかり町の運営をしていただき、住民税を上げることのないよう
当選者の皆様にフロー(損益計算書)とストック(貸借対照表)管理をしっかりお願いしたいと思っています。



美浜ナチュラル村 再会の門

美浜町総合公園

2011年4月12日火曜日

京都国立博物館 法然、生涯と美術!!特別展に行ってきました

休館日の3月28日 特別鑑賞会に参加し、浄土宗について勉強させてもらいました。
法然の800回忌を記念しているので、国宝・重要文化財など普段私には縁のない
名宝をたくさん拝見できました。2時間弱の鑑賞会でしたが、時間の余裕があり
南禅寺、平安神宮、嵯峨野方面を散策してまいりました。

参考・・・・・法然展の開催期間は3月26日から5月8日までです。

平安神宮にて


南禅寺





嵐山 竹林の小道
天竜寺 北出口に隣接しています

嵐山散策の途中にありました、以前来たときは見かけませんでしたので、
比較的新しい物でしょう。


2011年4月7日木曜日

江姫が 嫁いだ知多半島大野城!!大河ドラマは今週放映です


於犬の方(織田信長の妹)
 江姫は 現代版転勤族婦人の様ですね!!
滋賀小谷城に始まり、阿野津城(三重)上野城(三重)清洲城(愛知)北ノ庄城(越前)安土城(滋賀)
大野城(愛知)江戸城(東京)など等!!   たくさんの城に住んだようです。
大河ドラマの影響から 本日私の地元である大野城を訪ねて見ました。やはり想像したとおり歴女から
老夫婦まで10数人の江姫ファンの方々がお見えになっていました。
江姫の嫁ぎ先は織田信長の妹於犬の方を妻としている佐治八郎信方で、その嫡男与九郎一成16歳姫は12歳でした(1584年天正12年) 従兄弟同士ですね。
大野城  写真の建物は展望台で当時の建物を復元したものではないそうです。

佐治神社
城は、南側低いところが空堀で、佐治神社のある一段と高いところが
物見櫓があったようです。

展望台からは、織田有楽斉が築城を始めた大草城の城山が眼下に見えます。

大野水軍の軍船
その後豊臣秀勝の元に嫁ぐ2年弱の間に2人の子供を儲けたとのこと(常滑市教育委員会資料他参考)

2011年3月24日木曜日

幻の城 大草城!!


本丸から水掘りに下る通路です、整備されています。

外堀は完璧に完成しています、また本丸、二の丸の用地も整備されており
土塁も出来上がっています、築城寸前だったようです。
戦国時代は現代の転勤族のようにめまぐるしく、住む場所が変わって
いたようですね。
堀の中は鯉が、水鳥が数10羽生息しているようです。
織田信長の弟で、後に茶人として名を挙げた源吾長盛(有楽斎)が大野城から
大草に築城しようとして、途中で断念した「幻の城」である。
天正10年(1582)本能寺の変で信長が暗殺され、長盛も天正12年(1584)
の長久手の合戦後、しばらく秀吉に仕え摂津国味舌(現大阪府三島郡三島町)に
転封された、このため地形普請が大体終ったところで放棄され、廃城となった。
保存状態がよいのは尾張藩の徳川義直、光友に仕えた重臣、山澄淡路守英龍が
大草を給地され寛文6年(1666)に城址の西南方に屋敷を構えるなど、歴代の
支配者が保存に力を注いだためであるとされている(知多市資料より)