2011年7月20日水曜日

本丸未完成の城 吉田城(愛知豊橋市)



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1590年豊臣秀吉により家康が関東に移封されると池田輝政が東三河
4郡を統いる15万2千石の城主となった。 
輝政は吉田城および城下町の大改築や吉田大橋の架け替えを行った。
整備は11年間にわたって行われたが  関が原の戦いの翌年1601年輝政は
姫路に移封され現存する城跡は近世の城跡であるが 輝政の統治下では
完成しなかった。
石垣は名古屋城築城の際に余った石垣を転用している部分があり
土佐藩の印も  数々の城主が見受けられる。
江戸時代、征夷大将軍の徳川将軍家の下で、吉田城に三河吉田藩の藩庁が置かれた。
東海道の要地(吉田の宿)の1つに挙げられたため、3万~8万石の藩代大名のみに託されるが、
国替えは頻繁であつたため ほとんどの藩主は菩提寺を吉田に造らず、唯一小笠原家
4代の廊の有る臨済時(通称 殿様寺)のみである。(豊橋市東田町内)
11万石の城主の築城計画は規模が大きすぎて、後の大名では本丸まで完成できなかった
ようです。(豊橋市教育委員会資料)参考資料 ウィキペディア


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