2011年3月24日木曜日

幻の城 大草城!!


本丸から水掘りに下る通路です、整備されています。

外堀は完璧に完成しています、また本丸、二の丸の用地も整備されており
土塁も出来上がっています、築城寸前だったようです。
戦国時代は現代の転勤族のようにめまぐるしく、住む場所が変わって
いたようですね。
堀の中は鯉が、水鳥が数10羽生息しているようです。
織田信長の弟で、後に茶人として名を挙げた源吾長盛(有楽斎)が大野城から
大草に築城しようとして、途中で断念した「幻の城」である。
天正10年(1582)本能寺の変で信長が暗殺され、長盛も天正12年(1584)
の長久手の合戦後、しばらく秀吉に仕え摂津国味舌(現大阪府三島郡三島町)に
転封された、このため地形普請が大体終ったところで放棄され、廃城となった。
保存状態がよいのは尾張藩の徳川義直、光友に仕えた重臣、山澄淡路守英龍が
大草を給地され寛文6年(1666)に城址の西南方に屋敷を構えるなど、歴代の
支配者が保存に力を注いだためであるとされている(知多市資料より)



2011年3月21日月曜日

国宝 犬山城!!

愛知県犬山市にある城です (携帯から投稿)
江戸時代前後に建造された城です、国宝4城の1つです。
大河ドラマの影響で戦国武将ブームですね? 観光客が多いです。織田信長の叔父
信康が改修し、その後成瀬正成(尾張藩付家老)が再度改修し現在の形となった。
成瀬氏9代明治まで城主を勤め、平成16年3月まで個人所有であった城です。
これから桜に山車祭りとたくさんのイベントのある地域ですが 今はまだ少し早いですね。

2011年3月13日日曜日

地震雲 ??fukusima

3月11日 午前6時30分 自宅2階より撮影
宮城県沖大地震と関係あるのでしょうか?
この雲 初めて見ました。
雲の発生場所の方向を見ると、遠くは宮城県の方角になり
思わず被災者の方々 がんばってほしいと 祈らずには
いられませんでした。 !!頑張ってください!!

2011年3月12日土曜日

結城神社の枝垂れ梅!!



三重県津市市内にある結城神社です
津市役所の近くにあります
















推定樹齢300年の説明がありました
(梅の名前は忘れましたが命名者は名古屋市の方)






2011年2月21日月曜日

織田信孝 自刃で使用した短刀(末国俊作)他!!






写真は岐阜城で羽柴ちくぜんに敗れた織田信孝(織田信長公三男)が、知多半島 美浜町野間に幽閉された安養院で切腹した時使用した短刀、辞世の一首、血染めの掛軸(安養院所蔵)です。
安養院さんの御好意で撮らせていただきました。尚墓は野間大坊 源義朝公の墓の隣にあります。
安養院
写真左の蘇鉄の木は樹齢推定600年と言われ、愛知県の指定文化財です。

2011年2月4日金曜日

ヴァイオリンとピアノの音楽会!!

町のサブアリーナで音楽会が開催される情報聞き、しばらく遠ざかっていた楽器の演奏が
聞きたくなり出向いてみました。東京を中心に音楽活動をしているヴァイオリニストの藤井晴雄
さんとピアニストの小畠伊津子さんの演奏で、私には不似合いなバッハ、モーツアルト、フォーレ
等プロの演奏家が奏でる生の音色を楽しみました。

2011年1月12日水曜日

河和城祉をたずねて


4月は桜が咲き 遠い昔の人々の暮らしを思い浮かべてみると
楽しいかも知れませんよ!!

吉良町 東条城砦



河和城の空堀跡  1500年~1590年廃城まで90年間存在していた訳ですが、以後421年経過した現在まで
まだ当時のまま残っている横堀(空掘)です。(美浜町文化協会資料)貴重な史跡です。


横堀

曲輪

土塁です。

主郭のあった所です。 広いですね!!河和区の区会議員歴代の方々の記念樹(桜の木)が
たくさん植えてありました。 なんとそれぞれの木に名前がついています!!
きっと名前の主が管理するのでしょうね?
何年後か花見の宴が出来そうです 楽しみですね。

河和城の支城となった富貴城跡、岩田氏が長尾城(武豊町)の支城として築城か。
後に戸田氏河和城の支城として戸田孫右衛門(河和城城主の弟)が入城する。
戸田氏は今川の傘下のため、桶狭間の合戦後、織田。水野の連合軍に攻められ
その後廃城となる。神社裏手に廻ると堀跡が見える。神社と左手にある
円観寺が城跡だそうです。    築城室町後期/1560年
城跡への登り口  写真右手が駐車場になっています。

登り口はかなり急勾配です。

城口観音!!城への入り口があった所でしょうか ?


今年は戦国武将のルーツを、昨年以上に訪れてみようと心に決めました。
年の初めのターゲットとして、地元の史跡 河和城跡がある城山を訪ねる
ことにしました。何度も訪れているところですが、ここに来ると城跡から三河湾 
が展望でき遠い昔の出来事が何となく見えるような気がします。
それと言うのも、河和城主末裔の一族に私の同級生が居たという事実が
あることも関係しているかも知れません。
タイトルの戦国武将のルーツを始めようと思ったのも、やはり同じ要因かも
知れませんね。
駐車場に車を止め、城跡に続く急勾配の階段に向かうと一組の男女と遭遇
お互い挨拶を交わしましたが、本格的なビデオカメラ持参しており気になり
尋ねると、河和の町に来て30年になり愛着が涌いてきたのかな、今年から
町の紹介をしょうと思いビデオ撮りに訪れたとの事、私と同じような思いの人に
城山でめぐり会えて少し楽しくなりました。

説明を追加

河和城 城主は江戸時代尾張徳川家に仕え、名古屋城下に尾張藩河和水野家上屋敷を構え
また河和には領主屋敷を構えていたとのこと。詳しい資料は残って無いとのこと、天保12年
河和村絵図から推察すると約5千坪の屋敷があったようです。建物は残存していた建物の棟札によると
安政2年9月とあるそうです
写真の建物は水野屋敷記念館として、旧屋敷の天井板など再利用し、建物の一部を復元したもの。
美浜町ホームページ/東浦町誌等参照
江戸時代末期の尾張藩重臣は家格は下でも有能な者が 選ばれることが多くなり その中で知多半島
の河和美浜町水野家と師崎南知多町千賀家もその例で  


知多厚生病院の後方に見えるのが河和城祉のある城山です。



 

2010年12月1日水曜日

 大樹寺の山門から岡崎城を見る!!  徳川家(松平氏)の菩提寺

手前の山門の前方に総門がありますが、総門の中に見えるのは 3キロ先の岡崎城です。
不思議です? 障害物が何もありません?
徳川家の菩提寺として歴代将軍の(14代家茂)位牌が安置されています。位牌は将軍臨終時の
身長と同じ高さであるとされていますそうです。また家康が桶狭間の戦いで今川義元についていた
ところから、織田信長に敗れ大高城から この大樹寺に逃げ帰った場所であるとのこと!!
ここから前方総門の中に岡崎城が見えます!!

2010年11月2日火曜日

秋と春 マイホーム !!

押し花の作品!!星の庭に咲いた花も使っています。
のむら紅葉


今年の春の風景です!!我が家で一番早く咲き始めるのは、桃の花
と修善寺寒桜でソメイ吉野桜、陽光桜はまだつぼみの状態です。春先に寒非桜と
河津桜、それに土佐みずきを植えましたので、来春は楽しみです。


秋らしくもみじの紅葉が始まりました。
芝の手入れ!!
冬の前に芝にたくさんの砂を入れ春に備えます。
やま紅葉と黄色く染まったさんご紅葉