4月は桜が咲き 遠い昔の人々の暮らしを思い浮かべてみると 楽しいかも知れませんよ!! |
吉良町 東条城砦 |
河和城の空堀跡 1500年~1590年廃城まで90年間存在していた訳ですが、以後421年経過した現在まで まだ当時のまま残っている横堀(空掘)です。(美浜町文化協会資料)貴重な史跡です。 |
横堀 |
曲輪 |
土塁です。 |
主郭のあった所です。 広いですね!!河和区の区会議員歴代の方々の記念樹(桜の木)が たくさん植えてありました。 なんとそれぞれの木に名前がついています!! きっと名前の主が管理するのでしょうね? 何年後か花見の宴が出来そうです 楽しみですね。 |
河和城の支城となった富貴城跡、岩田氏が長尾城(武豊町)の支城として築城か。 後に戸田氏河和城の支城として戸田孫右衛門(河和城城主の弟)が入城する。 戸田氏は今川の傘下のため、桶狭間の合戦後、織田。水野の連合軍に攻められ その後廃城となる。神社裏手に廻ると堀跡が見える。神社と左手にある 円観寺が城跡だそうです。 築城室町後期/1560年 |
城跡への登り口 写真右手が駐車場になっています。 |
登り口はかなり急勾配です。 |
城口観音!!城への入り口があった所でしょうか ? |
年の初めのターゲットとして、地元の史跡 河和城跡がある城山を訪ねる
ことにしました。何度も訪れているところですが、ここに来ると城跡から三河湾
が展望でき遠い昔の出来事が何となく見えるような気がします。
それと言うのも、河和城主末裔の一族に私の同級生が居たという事実が
あることも関係しているかも知れません。
タイトルの戦国武将のルーツを始めようと思ったのも、やはり同じ要因かも
知れませんね。
駐車場に車を止め、城跡に続く急勾配の階段に向かうと一組の男女と遭遇
お互い挨拶を交わしましたが、本格的なビデオカメラ持参しており気になり
尋ねると、河和の町に来て30年になり愛着が涌いてきたのかな、今年から
町の紹介をしょうと思いビデオ撮りに訪れたとの事、私と同じような思いの人に
城山でめぐり会えて少し楽しくなりました。
説明を追加 |
知多厚生病院の後方に見えるのが河和城祉のある城山です。 |
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