我が家の庭の紹介と、尾張出身(愛知県)全国に影響を与えた戦国武将、織田信長、徳川家康、豊臣秀吉のゆかりの土地、史跡を紹介していきます。 特に現美浜町及び南知多町は室町時代二大勢力(戸田氏と佐治氏)が100年間にわたって支配した土地であり、また江戸時代末期の尾張藩で(御三家筆頭尾張i徳川家)家老職を勤めた事もある水野家(騎馬隊50騎の組頭も務めた:河和城主1万8千石の大名戸田憲光の末裔)千賀家が伊勢志摩の千賀志摩の末裔で、江戸末期のころ船奉行として熱田奉行所で堀川から名古屋城への検問及び伊勢湾、三河湾を管理していた、共に尾張藩の上級武士として幕末まで徳川家に使えたとある。
2011年3月13日日曜日
2011年3月12日土曜日
2011年2月21日月曜日
2011年2月4日金曜日
2011年1月12日水曜日
河和城祉をたずねて
| 4月は桜が咲き 遠い昔の人々の暮らしを思い浮かべてみると 楽しいかも知れませんよ!! |
| 吉良町 東条城砦 |
| 河和城の空堀跡 1500年~1590年廃城まで90年間存在していた訳ですが、以後421年経過した現在まで まだ当時のまま残っている横堀(空掘)です。(美浜町文化協会資料)貴重な史跡です。 |
| 横堀 |
| 曲輪 |
| 土塁です。 |
| 主郭のあった所です。 広いですね!!河和区の区会議員歴代の方々の記念樹(桜の木)が たくさん植えてありました。 なんとそれぞれの木に名前がついています!! きっと名前の主が管理するのでしょうね? 何年後か花見の宴が出来そうです 楽しみですね。 |
| 河和城の支城となった富貴城跡、岩田氏が長尾城(武豊町)の支城として築城か。 後に戸田氏河和城の支城として戸田孫右衛門(河和城城主の弟)が入城する。 戸田氏は今川の傘下のため、桶狭間の合戦後、織田。水野の連合軍に攻められ その後廃城となる。神社裏手に廻ると堀跡が見える。神社と左手にある 円観寺が城跡だそうです。 築城室町後期/1560年 |
| 城跡への登り口 写真右手が駐車場になっています。 |
| 登り口はかなり急勾配です。 |
| 城口観音!!城への入り口があった所でしょうか ? |
年の初めのターゲットとして、地元の史跡 河和城跡がある城山を訪ねる
ことにしました。何度も訪れているところですが、ここに来ると城跡から三河湾
が展望でき遠い昔の出来事が何となく見えるような気がします。
それと言うのも、河和城主末裔の一族に私の同級生が居たという事実が
あることも関係しているかも知れません。
タイトルの戦国武将のルーツを始めようと思ったのも、やはり同じ要因かも
知れませんね。
駐車場に車を止め、城跡に続く急勾配の階段に向かうと一組の男女と遭遇
お互い挨拶を交わしましたが、本格的なビデオカメラ持参しており気になり
尋ねると、河和の町に来て30年になり愛着が涌いてきたのかな、今年から
町の紹介をしょうと思いビデオ撮りに訪れたとの事、私と同じような思いの人に
城山でめぐり会えて少し楽しくなりました。
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| 説明を追加 |
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| 知多厚生病院の後方に見えるのが河和城祉のある城山です。 |
2010年12月1日水曜日
2010年11月2日火曜日
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