我が家の庭の紹介と、尾張出身(愛知県)全国に影響を与えた戦国武将、織田信長、徳川家康、豊臣秀吉のゆかりの土地、史跡を紹介していきます。 特に現美浜町及び南知多町は室町時代二大勢力(戸田氏と佐治氏)が100年間にわたって支配した土地であり、また江戸時代末期の尾張藩で(御三家筆頭尾張i徳川家)家老職を勤めた事もある水野家(騎馬隊50騎の組頭も務めた:河和城主1万8千石の大名戸田憲光の末裔)千賀家が伊勢志摩の千賀志摩の末裔で、江戸末期のころ船奉行として熱田奉行所で堀川から名古屋城への検問及び伊勢湾、三河湾を管理していた、共に尾張藩の上級武士として幕末まで徳川家に使えたとある。
2013年10月29日火曜日
2013年10月24日木曜日
2013年10月21日月曜日
武節城と道の駅 どんぐりの里いなぶ!
城は戦国時代1504年~1521年田峯菅沼氏の支城として築城:その後1556年武田信玄の家臣・下条信氏の侵攻を受ける。1560年今川氏より桶狭間合戦で感謝状がでている。1571年武田信玄の攻略に会う。1573年徳川信康が落城させる。また逸話として長篠合戦で敗北した武田勝頼は甲斐に帰る途中、武節城に入城し、このときに梅酢湯を飲んだ話は、この地では有名です。1590年家康の関東移封に従い、廃城になる。それにしても現在の愛知県・岐阜県・長野県の国境に位置したため、戦国時代は重要な城であったことが考えられます。城跡へ道の駅から6分でいけます。尚近くに関谷醸造があり、人気の蓬莱泉 空が道の駅で購入できますよ!!
2013年10月14日月曜日
2013年10月10日木曜日
「女城主」悲哀の城!!霧ケ城(岩村城)・・・
この城は城下町の藩主邸から1.1キロ先の山頂に本丸があり日本三大 山城の一つに数えられています。また霧が多く発生するため、別名霧ケ城と呼ばれています。戦国時代は愛知県・岐阜県
長野県の境にあることから国取りで武田信玄に攻められ、その後織田信長に攻められ徳川になり
藩政は明治維新まで続いた城です、そのため石垣はしっかり残っています。それにしても山頂の本丸まで頑張って歩きましたがきつかったです・・・フウー しかし山頂にたどり着いた時霧も発生し、戦国の武将が出そうな幻想的な雰囲気に一瞬なり又本丸からの山並みは絶景で満足感いっぱいの気分になりました。 参考・・・本丸 海抜717メートル : 築城年1221年(鎌倉中期) 廃城年1871年(明治4年)
長野県の境にあることから国取りで武田信玄に攻められ、その後織田信長に攻められ徳川になり
藩政は明治維新まで続いた城です、そのため石垣はしっかり残っています。それにしても山頂の本丸まで頑張って歩きましたがきつかったです・・・フウー しかし山頂にたどり着いた時霧も発生し、戦国の武将が出そうな幻想的な雰囲気に一瞬なり又本丸からの山並みは絶景で満足感いっぱいの気分になりました。 参考・・・本丸 海抜717メートル : 築城年1221年(鎌倉中期) 廃城年1871年(明治4年)
熊に注意の標札あり一瞬ドキッ・・> |
息が切れて、帰りたくなった場所です。 |
見ごたえのある本丸の石垣です。 |
山頂本丸の位置(海抜717m) |
白樺の木は900m以上で育つと言われていますので、山頂ということが分かると思います。 |
藩主邸 |
2013年10月5日土曜日
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