我が家の庭の紹介と、尾張出身(愛知県)全国に影響を与えた戦国武将、織田信長、徳川家康、豊臣秀吉のゆかりの土地、史跡を紹介していきます。 特に現美浜町及び南知多町は室町時代二大勢力(戸田氏と佐治氏)が100年間にわたって支配した土地であり、また江戸時代末期の尾張藩で(御三家筆頭尾張i徳川家)家老職を勤めた事もある水野家(騎馬隊50騎の組頭も務めた:河和城主1万8千石の大名戸田憲光の末裔)千賀家が伊勢志摩の千賀志摩の末裔で、江戸末期のころ船奉行として熱田奉行所で堀川から名古屋城への検問及び伊勢湾、三河湾を管理していた、共に尾張藩の上級武士として幕末まで徳川家に使えたとある。
2013年3月28日木曜日
2013年3月24日日曜日
2013年3月21日木曜日
2013年3月16日土曜日
2013年3月13日水曜日
2013年3月12日火曜日
2013年3月4日月曜日
続!!ピザ窯の製作
保温効果を高めるため、耐火レンガの周囲に耐火セメントで覆いたいところですが、高価であり断念!!代わりに
昔の日本家屋建築工法の1つである泥壁工法を思いつき実施する事にしました。
自宅畑の土を30センチ程掘り下げると粘土質の赤土が出土しました、水と混ぜると強い粘りが発生し、耐火煉瓦の代用
としても利用できそうです。
昔は屋根瓦を焼く炉はこの赤土で出来ていたと記憶に残っていますが。
昔の日本家屋建築工法の1つである泥壁工法を思いつき実施する事にしました。
自宅畑の土を30センチ程掘り下げると粘土質の赤土が出土しました、水と混ぜると強い粘りが発生し、耐火煉瓦の代用
としても利用できそうです。
昔は屋根瓦を焼く炉はこの赤土で出来ていたと記憶に残っていますが。
煙突部の構造は燻製をするときは煙を遮断する方法にしました。 窯と煙突の間を鉄板で遮断します、加工時大谷石に煙突と同じ 10センチ径の穴をあけるのに苦労しましたがどうにか完成です。 |
ピザ窯の鉄の扉と下の燻製室の扉がまだ未完成です。 |
ピザ及びバーべキュウのパーテー会場が出来ました。 |
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